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ピープルツリーの日々のこと

金曜日

11

3月 2016

3.11 ~震災から5年目を迎えて~

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今年3月の曜日の並びは、5年前と同じです。
3月11日は金曜日でした。

代表のサフィア・ミニーは当日、東京のオフィスにいて、
震災のニュースをスタッフとともに見ていました。
1年後に来日した際に、海外のメディアが情報を発信していないことについて
「日本の現状を英語で発信するメディアが足りない」と、
ピープル・ツリーの母体NGO、グローバル・ヴィレッジの活動として、
自ら現地へ赴いて動画を撮影し、英語での情報発信をしました。
また、2013年にはイギリスのピープル・ツリーで、「桜の花のネックレス」を販売し、
売上に応じた金額を南三陸へ寄付しました。

震災をきっかけに、ピープル・ツリーを退社し、東北地方の復興に尽力したスタッフもいます。
昨年は、自由が丘店でトークイベント「Pecha Kucha CAFÉ」を開催し、村井さんは「宮城県の南三陸町」、吉田さんは「復興ってなんだろう?」というテーマで話していただきました。

あの日から5年を迎える今日。
お二人に、「今、思うこと」を書いていただきました。

***

■ 元ピープル・ツリー 営業担当 村井香月さん


メディアでは連日、震災特集が組まれています。
多くの人が復興の歩みや現在の状況を知ることは、とても意義があると思う反面、
「あの日を忘れるな」というメッセージはちょっとだけ違和感があり、
都会でつくられるメディアのトーンと、地域の人たちの気持ちにはギャップがあると思っています。

なぜなら私のまわりには『記念日反応』(※)で心穏やかでない人ばかりだからです。
(※命日などの特定の日を前に、悲しみや不安がぶり返すこと)

私は2011年の震災を機にピープル・ツリー退社を決意し、
その年の夏から2012年夏まで、南三陸町で復興支援の仕事に携わりました。
NPO法人ETIC.が展開する「右腕派遣プログラム」を通じて、
「南三陸復興アトリエプロジェクト」に「右腕」として参加し、商品開発、販売促進、広報等に従事しました。

「右腕派遣プログラム」は震災の年に始まり、今では述べ215名以上の右腕が地域に送られているとのことです。
驚くのはなんと、活動を終えた「右腕」の6割が地域に残っていることです。派遣された団体に採用されたり、起業したりしています。

私は出身地である東京に帰ってきましたが、やはり今は別の立場で南三陸に関わり続けています。

私がお伝えしたいのは、「右腕」仲間たちが地域を愛し、地域と都市をつなぐ架け橋となり活動をしていることです。
彼らは地域の人たちに寄り沿いながら、地域とともに、強い使命感を持ち、東北の地で新しい未来を切り開いています。

フェアトレードに関わる人たちともちょっと重なります。
やはり若くて、優秀で、さらに向こう見ずで(笑)、強い使命感を持ち、理想を実現するべく、行動力を発揮しています。
(余談ながら、私が南三陸にいる間になんと述べ10名以上ものピープル・ツリーのスタッフが南三陸を訪ねてきてくれました。
デザインチームから通販チーム、そしてサフィアさんまで! その行動力には脱帽です)。

人口が減っていく東北の、いや日本の未来が明るいとは言い切れません。
でも、地方と都市の壁をぶち壊していく人たちはこうして現れているし、
東北とそれ以外の地域はつながっています。イノベーションは日々私たちのまわりで起きています。

震災でなくしたものと得たものを比較することはできません。
ただ確実に新しい風は吹いていると感じています。

3月11日、私は南三陸にいる大切な人たちのことを思います。

※「右腕派遣プログラム」について詳しくお知りになりたい場合は、こちら。
http://www.etic.or.jp/recoveryleaders/activity/migiude

■ 元ピープル・ツリー自由が丘店店長 吉田庸子さん


私はピープル・ツリーを退職後、仙台のコミュニティ財団に勤務し、
東北の復興や地域支援に関わるフォーラムやワークショップの
企画・運営、広報等に約2年半携わりました。

仙台で生活を始めたのは、震災から3年目を迎えた2013年。
多くの被災地では、道路や建物の再建など目に見える復興が着々と進んでいるように見える一方で、
仮設住宅等での長期化する避難生活が一因とされる震災関連死などのニュースが増えてきた時期でもありました。
また、何気ない日常の会話の中で、地元の方々がぽつりぽつりと被災体験を話してくれるようになり、
「あぁ、やっと話せるようになったんだな……」と思ったことを覚えています。

今、「復興の状況って、どうなの?」と聞かれると、何をもって「復興」と定義し、
答えればよいのか正直悩ましく思います。

震災について語られるとき、どうしても「復興」や「被災者」という言葉でひとくくりにされてしまいがちですが、
震災から5年が過ぎ、被災地の状況や課題、ニーズも多様化しており、
さらにそこには、それぞれの地域や人の歴史があり、生活があり、思いがあるからです。

東日本大震災から5年。
この先、目に見える復興が終わっても、目に見えない復興には長い時間がかかると思います。

そのすべてに思いを寄せることは不可能でも、住む前よりもっと好きになった「東北」に対して、
「よそ者」であるからこそ感じること・できる何かを体現し、これからも自分らしく東北を応援していきたいと思っています。

気仙沼南町紫市場(2015年5月撮影)

気仙沼南町紫市場(2015年5月撮影)